真室川町副読本
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一六三八 一六四一 一六四七 一六五九 一六六三 巣子ぜき工事はじまる。ポルトガル人の来航を禁じた。(鎖国)大滝村開発。五月四日、ピンポン玉大の「あられ」降る。全国的なききん。領内地図作成。幕府に納めた。庭月観音創立。江戸城石垣ふしん命ぜられた(新庄藩)。七月三日洪水。新庄大火。巣子ぜき完成。きかいちょくせつかんぶんくろう工事に使われた道具国や最上地一六六二 方の出一六四五 ちほうできごと来事一一六六三四九 〇 工事の苦労機(1663年)のことですから,25年せきをほる道具も今のような械はありませんでした。「つるはし」「とうぐわ」など直道具しかありません。そのため,工事はとても大変でした。雨がふり続くと,せっかくほったせきに土や石がくずれ落ちてしまうこともありました。冬はふぶきやなだれにおそわれたり,寒さのために工事が思うように進まなかったりすることもありました。せきをほり始めた時,3人とも30才代だったといわれています。せきが完成するのは寛もの長い年月をかけていたことになります。3人ともおそらく60才近くなっていたと考えられます。この長い年月の間には,3人にとって大変な苦いありません。接手で使う労があったにちが文3年

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