真室川町副読本
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子巣田山すごたろうながつゆはんじゅうろうやまやすごかんえいべんいたきせつすごそうだんさわさすなべさけすご巣たろう子ぜき(田郎ぜき)略りゃくず図すご子は,昔から水の便でした。そのため,となりの地区の郎の西を流谷川の水を田に引いていました。雪どけや梅もふえ,田をうるおす水は十分ありました。けれども,夏になると水がかれ,田にはひびわれさえできるほどでした。これでは米をつくることができひゃくしょう姓,なくなると心配した巣げんたろうはんすけ半十郎,源助,半何とか米づくりに必要な水を引いてくることはできないかと相た。いろいろ考えた3人は,差屋の下からせきを作り,鮭を巣子まで引いてくることにしました。寛永15年(1638年)のことでした。れている板の沢雨の季節には谷川の水子の百太郎の3人は,の悪い所という談しまし首鍋の川の水昔の巣せきをつくる計画

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